養豚をやってみるNo.7〜近況報告

養豚場に入って一ヶ月経った。

当初、ガンガン豚を蹴って叩いて出荷してやるつもりで運転免許まで取得して入社したが、アレルギーという想定外のトラブルに見舞われた。


回復の兆しはなく、僕がやる予定だった仕事は急遽夫に入社してもらって、引き継ぐことになった。


では今養豚場で僕が何をしているのかというと、事務仕事全般。あとは、AIと呼ばれる人工授精の研究室で雄から採取した精液の仕事を色々やっている。


三角木馬みたいな変態的なオナニーマシーンで雄に精液を出させるのは、農場長の仕事だ。

僕が今やっていることも元々はすべて農場長の仕事だったので、研究室には決まって、農場長と僕の他には誰もいない。


農場長と聞くと麦わら帽子のおじいさんのような人をイメージしがちだが、この農場長は違う。

僕よりも結構年下で、社内でも二番目に若い。しかしキャリアとしては一番長く、社員のマネジメントも余裕でできる将来安泰の素晴らしい青年だ。


そんで、素晴らしい青年と聞くと爽やかな頭のいい笑顔の素敵な人をイメージしがちだが、この農場長はそれとも違う。

まず金髪で、よくわかんないけど常にニヤニヤしている。ニコニコじゃなく、ニヤニヤだ。

非常に不敵で、場面にそぐわなくて、最初見たときなんかは、大麻かな?と思ったくらいだ。


毎日青のツナギを着て、ニヤニヤしながら、雄豚の精液を採取して、ニヤニヤしながら、僕に精液の仕事を頼んでくる年下の上司、妻子あり。


此奴は非常に厄介で読めないところが結構あるが、間違いがないのは僕たち夫婦を非常に面倒見てくれていること。同時期に他に三人入社しているが、僕たちをえこひいきと言っていいほどに可愛がっている。


それともうひとつ間違いがないことがあって、下劣な話なので、いつでも消せるようにそれは別記事にしよう…


この一ヶ月、やめるとかやめないとかパワハラとかババアの嫉妬とかなんかいっぱい人とのトラブルがあったんだけど、とにかく、この不思議な農場長のおかげで、僕はまだ養豚場で働くことをやめずに済んでいるという、まずは近況報告。

どうやって生きたらいいのかがわからない

自分の現状はひどい。

養豚の仕事はアレルギーが重篤で、現在休職中。
 
朝4時に起きて、2時間ゲームをして、寝る。
11時頃にまた起きて、さあて今日は何をするかなって、
iPadiPhone、本、など、ベッドの上に色んなものを広げる。
 
描きかけのキモいイラストの続きをやるか・・・?
でもマジでキモいし自己満だから、気が進まない。
ガチ勢でやってるソシャゲか・・・?
でも今のイベントは完走済みだし、育成くらいしかやることない。
聖書を読むか・・・?
でもこんな堕落した生活で聖書を読むこと自体、罪じゃん。
そんな中途半端な作業がたくさんあって、どれも気が進まない。
何かを終わらせたいという意欲もない。
 
部屋は実に猥雑で、無駄にでかい食卓テーブルの上は酒の空き缶が30〜50くらい溜まっている。
コンビニの袋や、飲みかけのペットボトルもたくさんあって、食卓などできるスペースはない。
床は犬が散らしたティッシュやゴミ、クッションの綿、脱ぎっぱなしの衣類などが散乱している。
ゴミ屋敷と言われれば、そうかもしれない。いや、多分そうだ。
それなのに、掃除するという選択肢はない。
コバエとの共存にも慣れてしまい、死にたい。
 
自分はこんなクソみたいな環境に生きていても、何か自分のためだけのことをしたい。
そう思って、パソコンを開く。
液晶が割れてるから、HDMIで他の液晶につなぐ。
液晶を直すのに5万かかるらしいから、仕方ない。
 
僕みたいなやつは、デスクトップは奇妙なほど整理されているものだ。
アイコンはひとつもない。
そんで、じゃあまず、キモい音楽をかけよう。歌ってみたとか、そういうやつ。
それから、自分を整理しなければならない。ブログを書くべきだ。
ということで今こうして近況を書いてるわけだけど、はっきり言ってめんどくさい。
だから、誰かにメールを送るくらいのテンションで書いている。
 
自分はどうやって生きていいのか、わかんない。
遥か昔、仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切って生活できていた頃があった。
それは、演劇をやっていた時だ。
1日が二部に別れていて、仕事をして、終業後は演劇をするのだ。
書き出すと超簡単に思えるけど、今の自分には到底できない。
仕事も趣味も同じくらい、やる気がない。
二部のために一部を頑張るという考え方ができない。
 
2011年〜2013年ころ、独身で、毎日ススキノで死ぬほど酒を飲んで、死ぬほど肉を食って、
死ぬほどセックスしまくって、色んな人を騙して金を得て、すっごい楽しかった。
バカみたいなきちがいみたいな犯罪者生活だったけど、本当楽しかった。
離婚したいな〜。とは言っても自分ら夫婦は他の夫婦とはだいぶ違うこともわかっているけど、
でもひとりになりたい。不思議と、ひとりのときの方が、孤独じゃなかった。
本当、くだらないんだけど、夫婦という関係がこんなに孤独なら、
確かに子供の一人くらい欲しいとも思ってしまった。
でもそれは、ない。なぜなら僕たちは3〜4年セックスしてないし、したくないからだ。
 
僕には未来がない。
苦しい過去と、虚無ばかりの現在しかない。
明るい未来なんて未来永劫こないし、虚無のいまは苦しい過去となっていく。
死ぬのって、パワーがいるじゃん。だから、死ぬという選択肢もあんまない。
仕事して演劇して健康な生活を送るか、離婚してきちがいみたいな生活を送るか・・・
 
多分人は、こういう時に誰か家族とか、友達とかに話すんだと思う。
僕は正直に人に話すのが無理で、だから、こうやってインターネットに話す。
みんなは、どうやって普通に生きてるんだろう。どうやって、生きていってるの?
知的障害の僕に切実に、教えて欲しいよ。
 
どうしたらいいの?助けろよ

養豚をやってみる〜No.6 出社拒否

初出勤、ずっと夢を見ているみたいな心地だった。

終業後も事務所で休みのこととか、福利厚生のこととか、親切な人が教えてくれたけど、ひとつも何も頭に入ってこなかった。


どうしようもなく、夫や犬たちに会いたい気持ちになった。特に、犬たちを抱きしめたい。今すぐ。


そんなんで帰路を急ぐと、途中ネズミ捕りがいて、21kmのスピード超過で捕まった。免許を取ってから二週間しか経ってない。


踏んだり蹴ったりだ。普段ならケーサツファッキンの歌(作詞作曲ぼく)でも歌いながら帰るところだが、残りHP10程度ではそんなことすらままならず、フツーにボロボロ泣きながら運転して帰った。


そんで、今日は出勤3日目の予定だったが、昨日今日とズル休みをした。


初出勤が衝撃すぎて、気持ちの整理がつき切らぬまま今日が来てしまったから、仕方ない。無理なものは無理だ。


今日だって、朝の3時に豚の悲鳴と豚が鉄パイプのガンガン揺らす音の幻聴で目を覚ました。


まず、少しでも平静を戻さなくてはならない。正直言って今は仕事どころか、車の運転もできる気がしない。

悪夢みたいだ。

まるで、現実感がない仕事だ。

生き物の生死が、極端に曖昧な世界だ。どうやって気持ちの折り合いをつけていくかが、一番の問題に思う。


そこらに散らばる豚の死体、毎日出荷されていく豚の未来。自らの手が、豚の生死を決める瞬間が、1日の間に何回もある仕事。


それを考えると、糞尿の臭いだとか、通勤時間の長さだとか、そんなことは超どうでも良くなって、じゃあ養豚業に従事する者の一人として、豚とどう接していくべきなのかが大きい問題になる。


「子豚かわいい!尊い!」だけではやっていけないし、完全にドライになってテキトーやってれば豚は愛情を受け取らず、きっと肉も美味しくならないんだろう。


かわいい豚ちゃん、愛してる。

でも、きみたちは半年もすれば殺されて、食われる。

だから、せめて美味しくなれ。


そんな気持ちを強く持ちつづけるつもりだけど、やっぱり、出荷前に死んだ豚に対しての気持ちの持ち方がわからない。今はまだ。


2日休んで、多分明日も休む。

この2日間、僕は養豚をやれるのかわからなくなって、辞めようかとも思った。

でも、辞める理由が「豚の死がつらい」っていうんじゃ、もう僕は今後の人生で家畜の肉を食べることができなくなってしまうだろう。

食べる権利を失うだろう。

それは嫌なのだ。肉は美味いから。


餃子も、焼き鳥も、牛丼も、カツ丼も、ハンバーグも、僕の好きな肉料理は、すべて畜産の仕事をする人がいるからできあがるのだ。

よく考えれば当たり前のことなのに、日本の日常のなかでは、ある種の闇の部分として扱われる。

子供の食育を推進するくせに、ホントのところはひた隠しにする。


スーパーに売っているパックの肉を作った人の中には、僕みたいに泣きながらきんたまを取り出した人もいるかもしれない。

冷や汗流して狂乱しながら断尾する人もいたかもしれない。

その肉になった動物の兄弟は、肉にすらなれずに暗い畜舎で、自分の母親に潰され死んだかもしれない。

そもそも生まれてこられなかった兄弟や、生まれてもすぐ死んでしまった兄弟もいるだろう。


ヒトのために生まれてくれる豚たち。

僕はもーすこし、きみたちのお世話を続けたいと思う。明後日からは、ちゃんと行こう。ちゃんと向き合おう。

養豚をやってみる〜No.5 後悔

午後はエサやりと水撒きであっという間に終わってしまいそうだ。


水撒きの時に、さっきまで元気だった子豚がママ豚に押しつぶされていた。

慌ててママ豚を退かして子豚を取り上げると、目は閉じているけど体はまだ暖かかった。


でも怖くて、息があるかどうかを確認できない。


その時Tさんは別の畜舎に行ってて周りには誰もいなかったため、かなり焦燥した僕は、この前運転免許センターで教わった心臓マッサージを試したりしたが目を覚まさないため、大パニックとなった。

もし生きてたとして別の畜舎に人を呼びに行っても、その間に死んでしまったらどうしよう。


そんなことを考えてるうちに、子豚はみるみる冷たくなっていった。

取り上げた時にはなんとなく、もう生きてないってわかっていたけど、それでも、かなり後悔した。


死んだ子豚は通路に置いて記録を取る決まりがあるけど、それ故に、この子豚を通路に置くという決意もできない。死んだかどうか…は、まあわかってるけど、わかりたくない。僕がそれを決めたくない。


それで僕は何を思ったか、子豚の死体をママ豚のもとへ置いた。

すると、兄弟たちがわらわら集まってきて、死んだ子豚の体を手で押したり、においをかいだりしていた。なんか変って思っているのかな。それ、死んだよ。ごめんよ。


一方、意外に、ママ豚は無関心である。


十分後、Tさんが戻ってきた時に子豚を見せる。もしかしたらTさんならなんとかするかもしれないという淡い期待は崩れ消えて、無言で、たった今冷たくなった新鮮な死体を通路に置き、カルテの事故死の箇所にチェックをつけた。


助けられなかったんだろうか。諦めてよかったのか。

あるいは僕に知識があれば、死ななくて済んだのではないか。

後悔で押しつぶされそうだ。


養豚をやってみる〜No.4 断尾と去勢

出勤初日にやった作業の中で一番にメンタルを摩耗したのが、子豚の断尾と去勢だ。

合わせてペニシリンと鉄剤の注射もやるんだけど、それは簡単だし一瞬だからいい。


生後間もない子豚を取り上げて、まずは自分の太ももの間に後ろ向きに挟む。子豚はビックリして暴れ始めるから、エッて思うくらい強めに挟む。

チョロチョロ動かす尻尾を左手でつまみ、右手に持った器具で焼き切る。


焼き切るのは思ってる以上に時間がかかり、その間も子豚はピギーーーッ!と悲痛な叫び声をあげて泣きながら暴れまわっている。ちょん切った尻尾はバケツに捨てる。


焦ると焼ききれず、出血してしまうので慎重に、思い切って。躊躇すると尻尾が暴れて抜けてしまい、もう一度やらなくてはいけない。


続けて、今度は仰向けに太ももに挟んで、きんたまの所在を確認したら陰茎をニッパーでパチンと切る。

切れ目から睾丸をしぼりだして、尻尾と同じバケツに捨てる。それを、もう片方も。そして消毒を吹きかける。


こちらも焦ったり躊躇すると中の薄皮が残ってしまったり、切れ目が小さすぎて絞り出せなかったりして、もう一度痛い目に合わせる羽目になる。


最後にペニシリンと鉄剤を首の筋肉に注射して、檻に戻す。檻に戻すと子豚はよろめきながらママ豚に擦り寄って、ママも優しく子豚を迎え入れる。その姿を確認して、次の一頭。


こんな流れを、初日に13頭分繰り返した。


大変な恐怖に、手も足もブルブル震わせて、頭からはシャワーみたいな冷や汗を垂らしながら、先ほどの子豚の死の悲しみも引きずりながら、涙も流れてくるし、もう狂乱状態である。


しかも初体験でもちろん技術もないものだから、すんなりいけることの方が少なく、子豚には大変申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


子豚を太ももに挟んだまま、深呼吸をしたり汗でビショビショになったゴム手袋を直したりすると、子豚は油断するのか大人しくなって、その度に絞め殺してしまったか!?とまた冷や汗を流す。


やっとの思いで、本当に死ぬような思いで、ようやく13頭を終わらせたのだが、その間にTさんはなんと40頭分を終わらせていた。


僕は「???」となった。


午後イチにまたエサやりをした時、僕が断尾と去勢をした子豚たちが死んだりしてないか気になって仕方なくなり様子を見てみると、子豚たちはまるで何事もなかったみたいに遊んだり眠ったりしていた。きんたまとしっぽを取られたことなんて忘れてるみたいに見える。


しかし豚には痛覚がないというわけではないし、怖い思いをしているんだから、なるべくなら手早く終わらせてやりたい。


Tさんには「落ち着いて、はじめはいくら失敗してもいいから」と言われて、放心状態の僕は二つ返事でハイと答えたけど、よく考えるとこんなに失敗の怖い作業もなかなか無いと思った。


養豚をやってみる〜No.3 生きてる子豚

見回りを終えると、エサ箱の掃除とエサやりをするよう頼まれた。

分娩舎なので、母豚一頭一頭、前日の記録を見ながらその豚に見合った量のエサをやっていく。


食欲旺盛で元気なママ豚は、僕がエサ箱の掃除をしようとして金具の取り外しを手こずると、すすんで手伝いをしてくれた。

エサをやると嬉しそうにガッついて足踏みをし、子豚をプレスしないか心配になるが、本当に美味しそうに食べるのでエサのやりがいがあるってものだ。


親豚くらいに大きくなると、顔にも個性が出ていて、なんか腹立つ顔の豚や、どう見てもブサイクな豚もいたりする。


けどエサを食べる時の笑ったみたいな顔は、どの豚もかわいい。


ママのメシ中、子豚は一箇所にかたまって、兄弟で暖め合いながら眠っている。かわいい。こんな愛しい光景はないだろう。


眠っている子豚にそっと触れてみると、予想以上に熱くて、やわらかくて、生きているのがわかる。初めて触った子豚は冷たくて硬い死体だったから、あまりの違いに驚いた。


さっき死体を目の当たりにした時は虚無感のほうが大きかったけど、生きてる子豚にふれた時、初めてどうしようもなく悲しくなって、周りに誰もいないことを確認して、子供みたいに泣いてしまった。


通路にはさっきの死体が放置されている。どうして他の兄弟と同じになれなかったんだろう。


とてつもなく深い、あわれみの気持ち。

養豚をやってみる〜No.2 子豚の死

朝の見回りではその日に生まれた子豚をチェックしたり、衰弱した子豚がいないかをチェックする。


細かいチェックが色々あるが、つまりは「死体」がないかを確認して回るのが主な目的だ。


難産で死んだ子豚、生まれた後に寒さに震え死んだ子豚、母親が座ったときに下敷きになり、圧死した子豚。そういった何かの理由で死んだ子豚を檻の外へ出して、通路に置いて、記録を取る。


実に様々な死に方がある子豚の中でも、黒子と呼ばれる、体内で成熟できなかった子豚が特に印象に残る。


手のひらに乗るくらいの、カレールーのかけらみたいな黒い塊をTさんが拾い上げて「ちょっとグロいんだけど、たまにいるから見てほしいんだけど」と前置きをしてから、「よく見ると、これ、骨があるでしょ」と言った。


僕はまさか、その物体がかつて生き物だったものとは思わなくて、思わず目を凝らした。

本当だ、確かに骨らしきものがある。あるけど、それ以外がない。なんか、昔USJで買った化石発掘キットみたいだ。


よくわかんない。形にもなってない。死に顔すらない。なんのために受精されたのかわからない。

なんのために外の世界へ出てきたのか。食肉という目的も果たせず、この後すぐに破棄されるのに、ほんの少しの間でも、存在したことを誰かに知って欲しいってことなのか、なんなのか。


この日は5cmくらいの黒子であったが、Tさんに聞いてみると、予想通り…サイズは大小様々らしい。

また、白子というブヨブヨした水っぽいものもあるらしく、あまり遭遇したくないというのが本音だ。

それなら、ちゃんと豚の形をしていて、目を閉じて、眠るように冷たくなった子豚のほうが何千倍も安心する。


この日はほかに、中くらいまで育った豚(多分、生後3ヶ月くらい)の死体が畜舎の広めのスペースにふたつ置いてあり、どうやら糞詰まりで死んだらしかった。下半身がパンパンに腫れ上がっていて、もう死んでるのに、なんかしんどそうと思った。


生き物が好きな人は、畜産業で働くことに向いていないという人もいる。殺されて、食べられるために生まれる豚たちを一生懸命に世話して、毎日何頭もの死を目の当たりにして、時に残酷な生き物の真実を知ることになるからだ。


一方で僕はこう思う。

どーせヒトに食われるために殺される運命なら、せめて出荷までは、ヒトに愛された記憶を作ってあげたい。

どーせヒトに食われるために殺される運命なら、せめて肉になった時、食べられた時、超絶美味いと言わしめる豚に育ててあげたい。


だからこそ、生まれる前や生まれた時、育成の途中で死んでしまうことは、とても辛くて、とても悲しいことだ。

養豚をやってみる〜No.1 初出勤

一年半、社会を断絶し十分に休んだと感じたので、就職することにした。

再就職するにあたりグラフィックデザインを捨てて農業というジャンルに絞った。

まずは自分が農業高校出身であることと、モノづくりという括りでは農業はグラフィックデザインとは比べ物にならないくらいにヒトの原点であるから、前向きに挑戦したい気持ちがあった。


その中でも養豚を選んだことに特別な理由はないが、強いて言うならば、動物相手の仕事がいいなあと、なんとなくそう思ったからだ。


以前に野菜栽培の仕事をしていたことがあったから職場の雰囲気がどんな感じかはなんとなくつかんでいて、出勤初日もたいした緊張はなく、むしろ車で1時間半の通勤の方を億劫に思うくらいだった。


教育係には若い男性社員がついてくれた。

その人も数年前に異業種からの養豚業デビューを果たした人だが、周りの人々にかなり尊敬されているような、農業従事者には珍しいコミュニケーションを得意とするタイプの人だ。


初日は、そのTさんについて回りながら、Tさんのやった作業を真似て即実践というのを繰り返すという流れであった。

まずは事務所から畜舎に移動し、しばらく見回りをする。そこで自分はどうやら分娩舎をメインで担当するらしいことを察した。


つづく

c l e a r

文章を書くのを好きになったはじまりははっきりと覚えていて、小学二年のときに作文コンクールで優勝したことがきっかけだ。

物心がついたと思ったら、その時には既に酷い劣等感が僕を支配していて、何をやっても何にもならないような、今考えると、とても子供が感じるとは思えない虚無が常につきまとっていた。家でも学校でも、本当は僕は透明人間なんじゃないだろうかって疑うくらいだった。

だから、自分が書いた原稿用紙たった二枚ばかしの文章が形のある評価をもらったその時、生まれて初めて、生きるために必要な最低限度の自己顕示欲の感覚を理解するに至ってしまい、めちゃくちゃ唐突に僕が生まれた。
生まれてしまったから、仕方がないから、生まれてしまったことを後悔したり謝罪したりしながら、今日まで何かしら、言葉を使って何かをつくって評価を受けることをしてきた。

ある程度の熟語や言いまわしを覚えた頃からは、小説とか詩とかのフィクション作品を作ることもした。きれいな言葉を使って納得のいく一文が書けると、これまた充実感があったし、例えば夢で見た印象的な情景を、言葉のみで如何にして劇的に伝えることができるのかを試すのもとても楽しかった。

高校からは演劇の脚本を書くようになり、併せて演出もやるようになった。文字を読ませるだけではなく実際の動きにする三次元化に、僕自身かなりの勢いでのめり込んでいった。
自分と同じ次元で、自分の空想が現実になっていく様は、凄まじくエモーショナルだ。
この感動は、演劇界に戻らぬ限りはもう二度と、絶対に味わえないと確信を持って言える。

その後、演劇をやめざるを得なくなり、札幌で数年間、入退院を繰り返す生活を送るわけだが、入院していようがおかまいなしに、僕はひたすら何かを書き続けた。全て読み返すのは不可能なくらいの、信じられないような膨大な量だ。
何の足しにもならんメンヘラクソポエムは勿論、ジジイかよとツッコみたくなるような俳句集、クソほどイラつく表現ばかりの村上春樹みたいな小説、仕舞いには呆れたことに、夢野久作坂口安吾の二次創作なんてのもあった。失笑ものばかりだ。

※日本文学の二次創作はそこそこあり、そのどれもが腹を抱えて笑えるようなものばかりである。唯一、太宰治の『畜犬談』を、自分の愛犬をモデルにすり替えて書いたものだけは最後まで読むことができた。

入退院が落ち着いた20代半ば、突如として文芸的な作品を書くことができなくなった。書くことができないというか、厳密には書いても書いても薄っぺらく、厚みの出し方が思いつかない。

だって、嘘なのだ。いくら言葉をたくさん使って遠回しなきれいな表現をしても、所詮それは嘘なのだ。本来の僕にはきれいな気持ちなどないし、遠回しに事を考えたりもしない。感じたこともない自分にない感覚を書くのをやめよっと。そもそも僕の頭の中は、そんなに語彙が豊富でもない。むしろ乏しいくらいだ。

もう文での芸はやりたくないな。これからは本当のことを本当の言葉で書こう。きれいな小説はきれいな心の人が書けばいいし、小難しい熟語ばかりを使った小説は、語彙の豊富な人が書けばいい。そうすれば、それは本当だから、原理はよく分からないがきっと面白くなるんだろう。僕も僕の思ったバカなことだけを、僕の思うバカな言葉だけを使って書こう。

そう考え至って六年程経ったが、その間、作品と呼べる何かを書いた記憶がない。何らかの言葉に埋め尽くされた雑用ノート群ですらも、近年の日付のものは殆ど見当たらない。

語彙もどんどん死んでいって、更に乏しくなって、せいぜい140字程度での起承転結すらままならない、おもしろくもない駄文を好き勝手にネットの海に不法投棄するような日々だ。
評価どころか、誰とも関わりあいになりたくない。文を書けなくても、特に寂しく思うこともない。

やっと真理を見出せたと思ったら、どこからともなくやって来た酷い劣等感が、あっという間に僕を支配してしまった。何をやっても何にもならないような、物心がついていないのかと疑う程の虚無がつきまとう。あらゆる感覚の断絶、シンプルな自我。己の中に形容し難い感覚があったとしても、理解したり訴えたりするための表現をしようともしない。

今の僕は、そうだな。
さしずめ、透明人間といったところだろう。

境界がとても鬱陶しいから

このブログは過去の体験や直近の出来事を自分に正直に、何も考えず、ただ自分の純粋を吐露するツールとして存在している。

つまりどういうことかというと、メンタルヘルス発達障害の観点からの言及(フィルター)は極力避けて、欲求や衝動についてただ素直に書き殴る、自分への告白の場でもある。こういった承認欲求満たしツールは、時代により変われども必要不可欠で生きてきた。ブログだけでなく、Twitterや他のSNSもそうやって、自分の正体をあやふやにして、特定のクラスタにカテゴライズされぬように使ってきた。

例えばTwitterのプロフィール欄で、

ADHD/ASD/LD/AC/双極性障害/摂食障害/反社会性人格障害/醜形恐怖/希死念慮/自傷/精神科暦17年/エロトフォノフィリア/犯罪心理学/依存症/FTx/既婚

と、自己紹介をすることは至極簡単だ。これで人格丸わかりってもんだ。超わかりやすいし、普通は絶対にお近付きになりたくない。

一方、似たようなプロフィールを書いてる奴らが大群で押し寄せてフォローしてきて、
仕切りにコミュニケーションを求めてくるし、ちょっとでも距離が縮まれば理解を示してきたり求めてきたりする。僕はそれが嫌で嫌で仕方がないのだ。

自分で自分を全く理解していないし、自分で自分を超嫌いなのに、あなたと同じですよと近づいてくる人間が一番苦手なのだ。自分みたいな人間が嫌いなんだから、当たり前だ。

僕には自分の存在自体をネタとして扱ってくれるようなクラスタにふわふわ滞在して近からず遠からずの距離を保つのがとても合っている。それはSNSを自分や他人を理解したり、同族意識や同意を求めたりするためのツールとして捉えていないとも言える。

そもそも共感能力欠如のために理解や同意をされたとしても、相手に対してはそれらをすることができないから自ずとこうなったってだけの話なんだけれどさ。

ただ、最近は、発達障害の治療を自分としては結構頑張っているのもあって、その治療過程や二次的な精神障害について、こんなクソみてーな僕の30年間を綴ることができないかと思っている。
やるとしたら別ブログで、冒頭に述べたこのブログの趣旨とはちょっと違うからだ。

歳をとったからなのか、仕事をやめたからなのか、自分でも理由は不明なんだけど、近頃こう思うことが増えた。

もし世界に自分が体験したような、障害や、家庭環境による人生の困難さを抱えた若い人間がいるとするならば、僕を見ろと。

子供の頃から明日死ぬかもと思い続けて、何故か30になっても自分を保ったまま生きている。相変わらず苦しい日々だけど、あの頃よりはマシなんだぜ。

そんなふうに。
一人だろうが何人だろうが、いるのかもわからないけど、若い頃の僕みたいな人間のために、他人のために書く雑記帳を持ちたいなという、チャレンジの話。

人間

毎日クタクタになりながら会社で仕事をする人は、人間だ。

ヒステリックになりながらも育児に精を出す主婦も、人間だ。

近所のワチャワチャうるせーガキ達も、これからを背負った、人間だ。

パリピも人間だし、オタクも人間。
中国人も、メリケンも、一部の原始的な部族も、人間。

あの憎たらしい母も、母である前にまず女で、人間なのだ。

あの憎たらしい義理父も、父である前にまず男で、人間なのだ。

そう考えると、僕を貶めてきた家庭、学校、環境、社会、あらゆる事を赦せます。

唯一、自分は人間かどうかわからない。 
だから、一生赦せないのです。

やられたらやり返す

親も、人間だ。

僕は両親が離婚した十歳の時にこれに気づき、以降、親の誰かが目の背けたくなるような滅茶苦茶を起こすたび、この言葉を自らに言い聞かせてきた。

例えば、母親が不倫していることを知った時とか、義理の父親がダイヤルQ2で高額になった電話代の犯人を僕に仕立て上げた時とか、実の父親が再婚相手と結託して僕を家から追い出してきた時とか、マトモに受け取ったら精神崩壊必至みたいな状況のなかで、この「親は人間」という呪文は、本当に魔法みたいによく効いて、僕の精神的ダメージを幾分和らげた。

しかし三十歳になり、自分に子どもはいないが同年代の人々がポンポン出産をして、大事そうに子供と接している様子をSNS等で見ていると、実は今までの僕は大変な勘違いをしていたんだと思うようになった。

幸せそうにしている家庭の親はどう見ても、人間である前に親なのだ。自分の本来の欲望や願望は二の次にして、自分の子どものために働いて、自分の子どものために飯を作って、自分の子どものためにいろいろなところへ出かけて、自分の子どもを育てるために自分を育てている。

これは語弊でも差別でもなく、また批判でもない。子どもの目線から見た、非常なる羨望だ。しかし、よく考えれば(よく考えなくても)、そんなことはすぐにわかることだ。日頃ニヒリストぶって「性行為はただの人間の本能」などと豪語してしまう恥ずかしいボクちゃんだが、まさにそれと同じく、子どもを産みたいだとか、子どもを可愛がりたいとかいう気持ちも、言うなれば人間の本能なのだ。

だからこそ、僕を取り囲んできた「親らしき人々」は、父方も母方もそんな人間の本能を無視した呪いの欠陥家系なのだと思うし、そのハイブリッドである僕であるから、子どもなんていらないと思ってしまうのも無理はない。

親は、人間であってはいけない。

今の僕はそう思うことで、過去にいた「親のような立場の人たち」への憎悪を膨らませている。そして憎悪を膨らませることは、決して、悪いことじゃない。ただただ、僕は僕を守ろうといつだって必死なのだ。

 

去年挙げた結婚パーティーに、驚くことに実の父母が揃って来る事になった。その中で僕は「母親は人間であってはいけない」話をして、母に恥をかかせたいと思い、わざわざ原稿まで用意した。

しかしそんなクソみたいな母のために、わざわざ出向いてくれたツイッターの友達や会社の人たちを巻き込むのは大人気ないなと気づいて「辛いことがたくさんあったし、母は今でも苦手ですが、親も人間だと思うと許すことができました」という、僕の中ではちょっとだけ古い感覚で、具体的な出来事を曖昧に表現しながら、ぶっつけで話した。

このスピーチをした時、僕はかなり久しぶりに母親の目を見た。僕の言葉の棘が刺さった母は泣いた。周囲は感動の涙だと思っただろう。

しかし違う。僕が本当に言いたいことが伝わって、しんどくなって泣いたのだ。本当バカ女だ。それで、そんなめでたいであろう席で、本来は感動を誘う親への手紙のシーンで、僕は母親のそんなリアクションを見て、こう思った。

 

ざま〜〜〜みろバ〜〜〜カ!!!!!!!!

 

稚拙だろ。子供染みてるだろ。いいんだよ、だって、僕はあいつの子供だから。僕だって、子供の頃は虐待されようがなんだろうが、母のことを好きだった。とても大好きだった。そんな子供の僕をたくさん裏切って、ひどいことをし続けてきたのは母親だ。正直言って、僕も仕返しをしないと気が済まない。

時間を重ねるごとにどんどん母を嫌いになってくけど、絶対に縁を切ることはしない。何をしても「私の子供だから、仕方ない」って思ってほしい。 今は思ってもらえなくて距離を置かれてるけど、死ぬ間際に後悔してほしい。目一杯後悔しろ。

僕は人間である前に、子供でいたい。

そんで、子供だって、人間なのだ。

愚かな事に、そういうやり方でしか、僕は僕を守ってあげることができない。

 

追伸

結婚パーティーに来てくれた方がこの記事を読んで、嫌な気持ちになってしまったら本当に申し訳ありません。ここにお詫びいたします。

ただの日記 つまんないよ

死にたくて死にたくて眠れない日がここのところ続いている。直接的な原因は抗うつ剤の減薬に間違い無くて、あとは、やらなくてはならないことを長期間放置し続けていたツケがいっぺんに来ていて、そんなんが死にたさを後押ししている。でもそれらは、だいたいが金さえあれば解決するものばかりで、誠にくだらん死にたさだ。

金を得るには仕事だ。でもまず、仕事をやりたくない。三年間の社会人生活は思っていたよりずっと、僕のアイデンティティに大打撃を与えた。

何がアイデンティティだよクズと思うかもしれないが、僕は僕のアイデンティティに思い切り寄りかかることでしか現在の自己を見出すことができない可哀想なタイプの人だ。他人の評価が僕を形成するなんて絶対にあり得ないし、過去の僕の積み重ねが今日の僕を形成しているなんてのも絶対にあり得ない。朝起きた時、いくつかのアイデンティティがそこにあるから僕は今日も僕でいられるのだ。

そういう意味で、本当はやりたくない会社勤めというものを長期でしたことは自我の破壊行為になってしまった。そりゃそうだ。三年間、毎日、本来の自分を忘れる努力をし、自分は紛れもなく立派な社会人であると言い聞かせたからだ。セルフ洗脳である。その洗脳を解くのに思いのほか時間を要していて、その間にたまった問題が今大爆発を起こしているのだ。

あー死にたい!面倒くさい!あと笑顔の眩しい巨乳の女とランデブーしたい!アイスも食べたい!しかしそんな日銭もない!何故なら仕事しないから!自己破産の手続き面倒くせー!執筆の仕事もデザインの仕事も超面倒くせー!妄想の中の実在しない実家に帰りたい!実在しない実家で実在しないお母さんに世話してほしい!!障害年金をまるごと小遣いにして、一生その実在しない実家で働かずに暮らしたい!!ブログ書いて、不謹慎なこと考えて、絵や文を書いて、息抜きにゲームして、煙草吸ってコーヒー飲んで、犬のうんちとおしっこ掃除するだけの毎日を過ごしたい!もう既に過ごしてるな!?死にて!!!!!!!

 

 

テレビ

小学校高学年頃から、クラスメイトがやたらとテレビの話をするようになった。ASAYANがどうとか、めちゃイケがどうとか、主にバラエティ番組の話だったと思う。自然の摂理だがテレビの話ができないとなると特に女子は、だんだん孤立していく。

今でもテレビが苦手だ。何が苦手かって、バラエティ番組がまず苦手だ。ちょっとちょっと、そんなにいっぺんに!?となってしまう。いろいろな種類の音楽、効果音、タレント、服装、髪型、スタジオの装置など、情報が多すぎて追いきれないというのが理由だ。

それだけならばバラエティを避ければいいだけだったが、情報の乱入という点で何よりも苦手なのは、ちょいちょい挟まるCMである。上述のような多くの情報が、CMではなんと十五秒ごとに全く違ったものに入れ替わるのだ。卒倒する他ない。好きな映画はセリフを全暗記するまで繰り返し見るという類稀なしつこさでお馴染みの僕であるが、だからこそ散乱した情報から、自分に必要な情報だけを選択取得をすることが極めて困難なのである。

今の時代は幸いなことにオンデマンド配信や衛星放送もあるので、僕は専ら、そういったものでコンテンツを楽しむことにしている。

例えば、よく「テレビはなんとなくつけてる」という人がいる。僕のような脳カタワには到底理解のできぬ感覚であるが、僕はこれが羨ましい。テレビに限らず「なんとなく雰囲気のいい音楽を流す」とか「なんとなくオシャレな映画をリピートして流しておく」という感覚は、多分これからも一生理解することなく死んでくんだろう。変わらず、音楽を聴くときは他に作業もせず目を瞑って聴くんだろうし、映画のDVDを見るときは誰かがティッシュを取る音すら許さないくらいの静寂を求めて、だから誰かと一緒に楽しんだり、そのコンテンツのコミュニティに属すことができぬまま、僕は死ぬんだろうな。悲しいな。

就職したとき、会社の中でもテレビドラマやバラエティ番組の話をしている人々がたくさんいて、僕は心底、驚嘆した。大人になってもテレビの好きな女達がたくさんいるのは変わらないんだということが初めてわかって、冷や汗が出た。無理にでも観ようと、観て、話をしようと、そう試みた時期もあったがやはり難しかった。

でもいい。僕は皆がテレビを観ている分、違うことを沢山、自分の頭で考えているから、いい。理解者は自分しかいないが、自分の頭で考えることが僕の生きることだから、それでいい。

とりとめもないし上手くまとまんないんだけど、なんてことないテレビの話。

一番好きなテレビ番組は『世界の車窓から』です。