養豚をやってみる〜No.2 子豚の死

朝の見回りではその日に生まれた子豚をチェックしたり、衰弱した子豚がいないかをチェックする。


細かいチェックが色々あるが、つまりは「死体」がないかを確認して回るのが主な目的だ。


難産で死んだ子豚、生まれた後に寒さに震え死んだ子豚、母親が座ったときに下敷きになり、圧死した子豚。そういった何かの理由で死んだ子豚を檻の外へ出して、通路に置いて、記録を取る。


実に様々な死に方がある子豚の中でも、黒子と呼ばれる、体内で成熟できなかった子豚が特に印象に残る。


手のひらに乗るくらいの、カレールーのかけらみたいな黒い塊をTさんが拾い上げて「ちょっとグロいんだけど、たまにいるから見てほしいんだけど」と前置きをしてから、「よく見ると、これ、骨があるでしょ」と言った。


僕はまさか、その物体がかつて生き物だったものとは思わなくて、思わず目を凝らした。

本当だ、確かに骨らしきものがある。あるけど、それ以外がない。なんか、昔USJで買った化石発掘キットみたいだ。


よくわかんない。形にもなってない。死に顔すらない。なんのために受精されたのかわからない。

なんのために外の世界へ出てきたのか。食肉という目的も果たせず、この後すぐに破棄されるのに、ほんの少しの間でも、存在したことを誰かに知って欲しいってことなのか、なんなのか。


この日は5cmくらいの黒子であったが、Tさんに聞いてみると、予想通り…サイズは大小様々らしい。

また、白子というブヨブヨした水っぽいものもあるらしく、あまり遭遇したくないというのが本音だ。

それなら、ちゃんと豚の形をしていて、目を閉じて、眠るように冷たくなった子豚のほうが何千倍も安心する。


この日はほかに、中くらいまで育った豚(多分、生後3ヶ月くらい)の死体が畜舎の広めのスペースにふたつ置いてあり、どうやら糞詰まりで死んだらしかった。下半身がパンパンに腫れ上がっていて、もう死んでるのに、なんかしんどそうと思った。


生き物が好きな人は、畜産業で働くことに向いていないという人もいる。殺されて、食べられるために生まれる豚たちを一生懸命に世話して、毎日何頭もの死を目の当たりにして、時に残酷な生き物の真実を知ることになるからだ。


一方で僕はこう思う。

どーせヒトに食われるために殺される運命なら、せめて出荷までは、ヒトに愛された記憶を作ってあげたい。

どーせヒトに食われるために殺される運命なら、せめて肉になった時、食べられた時、超絶美味いと言わしめる豚に育ててあげたい。


だからこそ、生まれる前や生まれた時、育成の途中で死んでしまうことは、とても辛くて、とても悲しいことだ。