企業人は外国人

三年間、自分を殺し続けながら頑張った。本当、とてもエラい。働いてみてわかったことは、企業人とは外国人であるということだ。

自分も最大限合わせる努力をしたし、本意でない発言もたくさんした。自分の気持ちや意見を述べるときなんかは百パーセント嘘だ。英語の苦手な人が、何を話しているかわからない外国人に対し、ことごとく「Yes,OK!Yeah,Yeah!」と答えているかような感覚だった。

無論、僕は発達障害であるから、まったく空気の読めない言動も多々していただろうとは思うし、上司はかなり大変だったと思う。初めの頃は案の定いじめのようなものも存在したが、そういうことが起きた時は、黙って我慢できるタイプではないので、真正面からぶつかっていった。

そうしているうちに、なんか不思議だし経歴もよくワカんないけどそれっぽい、なんとなく仕事のできそうな人っぽい、そんな感じのキャラが定着した。それで僕自身も、そういうふうにならなくてはいけないと、やや強迫観念めいた気持ちになっていき、虚構の自分へのプライドすら出てくる始末だった。

時が経てば経つほど本来の自分とのギャップは大きくなっていったが、元々大したアイデンティティなどは持ち合わせていないので「本来の自分」とかいうゴミはそのままポイっと捨ててしまえば良いと思っていた。そうしたらギャップに苦しむこともなくなる。

今年の四月初頭、業績悪化に伴い、オフィスの縮小工事が行われた。これ自体に対しては然程気に留めてはいなかったのだが、予想外の事態が起きてしまった。

週末に縮小工事が行われ、翌月曜の出勤日。

いつも通りに出勤して、自分のデスクについたが、何か違和感を感じた。

うるさい。

声も、誰かがキーボードを叩く音も、電話の向こう側の声すらうるさい。先週までとは、オフィスの大きさ以外変わらないはずだ。それなのになぜ。

「もしもし、お世話になっております。高田です」

「その件ですね。詳細を打ち合わせたいと思うのですが」

「伊藤さん!これ」

僕以外の世界が、急激に僕の世界に侵食したきたようだった。仕事どころではないくらいの激しい頭痛と、何とも言えぬ、焦燥に似た感覚が全身を覆う。ここで僕は、高校の頃に教室で同じような症状に見舞われ、当時のカウンセラーの松尾氏に相談した際に言われたことを思い出した。

発達障害を持つ人の中には、光や音に極端に敏感な人がいる。例えば音楽をやる人ならばそれがメリットにもなるけれど、当然デメリットの方が多いよね。

確かこんなことを言っていた。空間が縮小されたことで、様々な音の反響が過敏に聴覚を通じて脳を揺らしているんだろう。

それで僕は納得して、上司に許可を取った上で、イヤホンをして仕事をすることになった。カナル型のイヤホンで完璧に外部からの音を遮断し、できるだけ作業に没頭した。しかし、当たり前だが、そこはオフィスである。当然、クライアントから電話はかかってくるし、上司や同僚が仕事の打ち合わせを持ちかけてくる。

そうすると今度は、音楽の途中で割って入ってこられることに大変なストレスを感じてしまう。もうどうしようもなく、肩を叩かれて呼ばれても無視してしまったり、不機嫌に応答してしまう。

段々と絶望していく僕を、谷さんという一番尊敬していた上司が毎日慰めてくれた。

「酒飲みに行こう、奢る。だって私の方が稼いでるからさ(笑)」と気丈に振る舞って、終電まで僕の話を聞いたり、面白い話をしたりもしてくれた。

しかし、日に日に症状は悪化していき、朝起きるだけで酷い頭痛が襲った。その頭痛がどれくらいのものかというと、めまいや吐き気も伴い、ロキソニンを服用して何とかバスに乗り込んでも、バスが揺れるたびにバットで頭を殴られた時のような衝撃が走る。

無事オフィスへ入っても、まともに話せる状態ではなく、度々オフィスの外へ出てしまう上に顔色も悪いため、周囲に多大な心配をかけてしまう。

全てが悪循環していってストレスは消えることなく、オフィスの縮小工事から二週間を過ぎた頃には、出勤すら出来なくなってしまった。

谷さんが外回りついでに毎回僕を気遣い、わざわざ家の近くまでやってきて、今後の話などをしてくれた。選択肢としては休業か退職というのが既に見えてはいたが、正直オフィスの拡大工事でもしない限りは復帰できる見込みはない。

 

まさか、こんな事で社会人生活が終わるとは思ってもみなかったので、結構落ち込んだ。しかし退職が決まると、今まで軽いノリでポイポイ捨ててきた本来の自分のようなものが徐々に戻ってくる感覚があった。それで僕は、またブログをしたりツイッターをしたりしている。

金銭面では確かに、今は非常に厳しいのだが、ありがたいことに谷さんが外注として僕を使ってくれたり、ライターとしての仕事が絶えずあったりしてくれるので、安定すれば生活は何とかなりそうな感じだ。

完全に本来の自分を取り戻して、三年を振り返り思うことは、兎角、企業人は外国人であるという一点だ。自分にも出来そうな気がしたが、結果的には無理だった。理解しきれないルールやマナーやモラルも非常に多い。なので、長い間、企業組織で働く人々に対しての非常なる尊敬が生まれた。

 

けれど、結果として企業人にはなれなかったが、社会人になることはできたんじゃないだろうか。組織に属すことは難しいが、終始自分だけの責任であれば、仕事ができるんじゃないだろうか。そういう、割と前向きな気持ちで退職したと思うと、何の未練も後悔もなく、経験としてのオフィス勤めであったというふうに捉えられる。

 

そして今日はこれから、その外国人達に、出社拒否後に初めて会うことになる。外注のデザイナーとして契約させてもらったから、案件の打ち合わせだ。合わせる顔がないといえばその通りだ。

 

家を出る時間が迫る。僕はこのブログをパチパチ打ちながら、果たして飄々とした顔つきでオフィスに入っていいものなのか、何となく悩んでいる。