平成二十年から先日までのこと

じゅげむ→はてブロに引っ越し。なので、ここ十年ほどの出来事をなるべく簡潔にまとめた。クソみたいな経歴を綴ると、クソそのものになった。我慢しながら読んでください。

 
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二十歳の夏、自分にはこれしかないと思っていた劇団や映画を、突然に投げ捨てて札幌にやってきた。いや、逃げてきた。定期公演も間近、チケットもだいぶ売った後のことだ。

 

その時の僕は寝る間も惜しんで、年中無休でお芝居のことを考えていた。というか、考えざるを得ない状況で、それは自分がその劇団の代表で、脚本、演出、舞台装置、衣装、役者、そして制作や広告まで全てを担っていたからだ。人間不信であったから、誰かに頼ることができなかった。

朝七時から夕方の五時までアルバイト、夜六時から劇団の稽古。夜九時から個別稽古と制作ミーティング。深夜に帰宅して脚本の修正と広告の作成。三時に就寝して六時に起きる。そんな毎日だった。

もちろん好きでやっていたわけで、苦しいとかやめたいとか、そんなことは思ったこともなかった。ただただ繰り返す毎日の中で蓄積されていく疲労や細かなストレスが、結果的に心身ともに蝕むこととなり、ついに僕は大学進学を蹴ってまで選んだ道を、全て捨てて逃げる決意をしたのであった。

 

逃げ場所に札幌という場所を選んだのには理由があって、まず、小学生の頃まで住んでいた場所だということ。両親の離婚で生き別れになった父がいる場所だということ。両親共に北海道の出身なので、頼れる親戚がいるのではという期待があったためだ。

しかし、そんな突拍子もない甘えた計画がうまくいくはずもなく、親戚の家を転々としたり時には野宿をしたり半ばホームレスのような状態で、考えることといえば放り出してきた公演がどうなったかとか、チケットの払い戻しは誰がやったんだとか、日が経つにつれ罪悪感のようなものがかなり急速に分裂していき、結局、完全に心身喪失した僕は服毒自殺という道を選んだ。

 

閉鎖病棟への入院やオーバードーズなんてのは十四歳くらいから何度も繰り返してはいたんだけど、明確な死の希望を描いて自死を図ったのは二十歳のこれが初めてだった、と、思う。もちろん、今こうして、この世に滞在しながらブログを書けているのは、その自殺が未遂に終わったためだ。

約九〇〇錠の服薬(眠剤向精神薬抗うつ剤・カフェ剤・咳止め等)で七日間の意識不明ののちに蘇生したと、後から転院した先の精神病院の医者が言っていた。この出来事ははっきり言って、今でもあらゆる面で事実を疑っていて、でも話すと長いのでまた別記事で。

 

身寄りのない僕はその後三年ほど、服毒・首吊り・飛び降り等でとにかく死ぬ努力をしまくった。が、とことん運が悪く、その度にアンビリバボー級の奇跡が起きてしまい、ことごとく失敗に終わった。最終的に自分だけが読む遺書が溜まっていく。何かあれば閉鎖病棟に出たり入ったりの暮らしで、刑務所か地獄か、それ以下のような暮らしを送った。

そんな生活について考えることもあったが、自分は生まれついてのカトリック信者であるのに教えに背くことをあえてやってきて、だからこれは当然の報いだろうと思っていたし、なんなら一生このまま罪を償い続ける生活でいいや、とも思っていた。

どんな毎日かだったなんて断片的にしか記憶はないが、寝る前には必ずマリア様ごめんなさい、キリスト者としてあなたのように模範的な生き方ができなくてごめんなさい、許すことはできなくとも、どうか見捨てないでくださいと祈っていたのは覚えている。

人生を諦めて、死ぬこともなくて、誰かに救われることもなければ、影響を与えることもない。人間っぽい生き物がひとつとしていない場所で、ただ一日中、祈るか、過去に囚われるか、何かを書くだけの、身体をまるで必要としない何かの概念と化していた。

 

二十三歳、希死念慮の危惧がなくなったとして退院した。僕は一人暮らしをしたが、その孤独の空間が恐怖ですぐに発狂してしまい、毎日すすきのへ出かけた。出かけて何をするわけでもないんだけれど、人がいると安心した。メイド喫茶へ行ったり、焼き鳥食べたり、道端でヤンジャン読んだりしながら、まあ、大体は酒を飲んでいた。 

そこら辺で出会った男性と、引っ越して同棲することになった。しばらくはアルバイトをしていたが、恋人との結婚願望を機に、本気で就職活動を始めることにした。 

しかし、お芝居以外で何も努力してこなかった挙句に、閉鎖病棟を家代わりにしていたツケが回ってきて妖怪スキルゼロマンと化していたので、ハロワ職員の勧めもあり職業訓練校でウェブデザインを学ぶことにした。学生の頃に独学でやっていたこともあり、何種か資格も取って、よしいけるぞ〜と意気込んで就職した先が、先月までデザイナーとして勤務していた会社だ。ちなみに前述の男性とは四年半後の平成二十八年九月に籍を入れた。

 

良い上司と同僚に恵まれ、社会経験も積ませてもらって、紆余曲折ありながらも順風満帆に物事が運んでいるかのような・・・まるで自分が普通の、一般的な人間になれたかのような錯覚に陥ったが、就職して四年目、二十九歳になった僕は会社を辞めるという選択をした。